壊れたら終わりじゃない——アップサイクルPCと、人間の再生について
- KOBAYASHI

- 7月15日
- 読了時間: 3分

“アップサイクル”の概念を、環境だけでなく「人間の在り方」に重ねて掘り下げる。
パソコンと人間は似ている。壊れかけたときこそ、もう一度価値が生まれる。
「壊れたから新しいものを買う」が当たり前の時代に
あなたの会社では、パソコンが壊れた時どうしますか?
「もう古いし、買い換えよう。」
「スペックが足りなくなってきたし、そろそろ更新だろう。」
「中古は不安だし”映え”ないから、新品で統一しよう。」
この思考に、なんの疑問も持たない人は多いと思います。
でも、それって本当に「正しい調達」なのでしょうか。
新品を選び続ける社会には、「壊れたら終わり」「古くなったら価値がない」という無意識の前提があります。
でも私はそこに、人間の扱いとそっくりなものを感じるのです。
パソコンと人間は似ている。新品だけが価値じゃない
少し不調になると「使いにくい」と言われ、ちょっと遅くなると「もう古い」と切り捨てられる。
でも、それって人間にも当てはまるような気がしませんか?
年齢を重ねた社員、出産後にブランクのある人、病気や障害を抱えた人、失敗を経験した人。
企業にとっての資産である彼ら彼女らは、パソコンと同じように、「現場でちゃんと動けばいい」という評価軸だけで測られている。
でも、本当にそれでいいのでしょうか。
アップサイクルという思想は、「再生」ではなく「再解釈」
アップサイクルPCとは、不要になったパソコンを解体し、
使える部品を選び直し、整備して、新しい意味を与えて復活させた機器のことです。
それは単なる「中古」ではありません。
新品よりも軽やかに、でも経験を踏まえて。
「これまでの役割」とは別の角度で、もう一度世界に参加している。
この構造って、キャリアを断絶された人が、別のかたちで社会に戻ってくることととても似ていませんか?
“整備されることで、また誰かの役に立つ”という可能性
企業で導入されているアップサイクルPCの多くは、表面上は何の変哲もないパソコンです。
でも、そこには『誰かが使っていた時間』が確かに存在している。
書類を作ったり、営業メールを打ったり、開発ツールを動かしたり。
そうやって働いた記憶が、内部の部品に宿っているようにも思えるのです。
そして今、そのパソコンは別の誰かの仕事道具になっている。
まるで「役目を失ったものが、また違う意味で再び役に立つ」という、
人間のリカバリーにも似た物語です。
捨てることより、関わり続けることに価値がある時代へ
「リサイクル」も「再生」も、どこかに不要になったら離れる前提があります。
でも、アップサイクルは違う。
「この一台を、もう一度仲間にする」という選択です。
これは、単に環境に優しいだけの話ではありません。
もっと大きな文脈で言えば、
「使い捨てにしない文化」を企業が体現することなのだと思います。
壊れたら終わりじゃない社会を、パソコンから始める
アップサイクルPCは、CO₂削減やコスト削減だけじゃなく、
「古くても、価値がある」「再構成すれば、また働ける」というメッセージを含んでいます。
これは、これからの人事制度やダイバーシティ戦略にも通じるものです。
キャリアにブランクがあってもいい。
失敗した人も、挫折した人も、整備し直せばまた働ける。
人間の価値は、過去のままで止まらない。
アップサイクルPCを選ぶ企業は、ただ環境にやさしいだけでなく、
「人間の可能性を信じる」企業にもなれるのです。
当社では、法人向けにアップサイクルパソコンのサブスクリプション型レンタルを行っています。
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